ブログを書く価値とTwitterをやらない理由
そもそもブログという概念を全く理解していない!
どうも、みむ羊です🐏🐏🐏
最近もしかしてと思うことが、ありまぁす!
それはTwitterが意見を吐く場として主流になっていて、ブログ書くのってマイノリティなんですかねってことです。
それともブログが主流で匿名掲示板が主流でチャットルームが主流でペンフレンドが——
やめときます、というかその先は知りませんので。
最近書くことが思いつかないので、このブログに価値があるのかどうかという話を考えてみます。
客観的に見てどうかは知りませんが、少なくともみむ羊はネットでしか生きられないので、その点が価値といえます。
文章を書いている自分とみむ羊というネットのキャラクターは、全く同じ自分ですが、違います。
みむ羊は現実の自分の分身でもありますが、一種の創作物ですからね。ネットのハンドルネームとは突き詰めればそういうもののはずです。
ブログにしろTwitterにしろ、そこで書かれている文章は何らかの脚色の入ったハンドルネームのキャラクターが書いていて、本人の分身ではあるが厳密には違うもののはずです。
これは本名で顔を見せて活動している人も同じことですよ。
ちなみに自分はああいう活動は絶対にしたくないです。
仮想と現在を近づけすぎると、人格が変わっても恐らく何にも気付かないでしょうからね。
気付かないなら問題ないという考え方もありますが、無意識に操られている感じがして嫌ですね。
ブログの価値はそんなところです。
あと、Twitterをやらない理由!
人と絡むのが好きじゃないから!
と言うと語弊がありますが、正確には人を見るのは好きだけど、輪の内にも外にも居たくないから、というのが正しいですね。
輪というのは人が集まって喋る話題のことを指しています。映画だったり天気だったりなんでもですね。
そして輪というものは常に内と外ができます。簡単に言えば話に参加する人と参加しない人ですね。
しかしそれは見えている人が区分されているだけで、実際には見えていないけど確かに存在している、いわば"ネットの幽霊"がいっぱい居るんですよ。
自分はその立ち位置が面倒もなく一番楽しめるのでTwitterをやっていないのです。
ただ、YouTubeのチャンネル関係でTwitterを使う可能性はありますがね!
という、いつものみむ羊的な理由で今後も自由に、目が覚めたときにでもブログを書きます。
書いてて思うけど、こんなてきとうな考えした奴でも生きていけるんだから不思議ですよね!
考えるすぎると気負いすると言いますが、考えすぎのずっとずっと向こう側に、誰も知らない思い付けない思考があるかもって想像したら人生楽しくてね。